離婚したから見えたもの。

FPたーたん
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離婚を決めたとき…

結論を言うと…

離婚を決めた理由は「将来を見据えた価値観の摺り寄せ」ができなかったからだと思っています。

相手を責めたことは無かった…と思うのですが、もしかしたら無意識的に相手を責めるような口調で話し合いをしようとしていたのかもしれません。

「お前のその顔がむかつくんだよ!人を憐れむような顔がで俺を見るな!」と言われたこともありましたから、無意識に相手を責めるような表情をしていたのかもしれません。

きっと、たーたん自身…相手を責めるような表情をしていたのかもしれません。

元夫が生活費のすべてを出してくれなかったことは無いのですが…二人目が生まれて、育休中の給与が減った時やこれからの教育費などの人生設計の話をすると、決まって煙たがられて話が進まなくなりました。

「俺に、これ以上どうすれって言うの??」

資産形成や人生設計を一緒に考えてくれない元夫に対して向き合おうとすればするほど、夫婦間がぎすぎすしました。

生活費が足りない事があってお願いしても「こっちは住宅ローンがあるんだよ。」の一言。

話し合いになりませんでした。

たーたんは仕方がなく、クレジットカードで買い物をし…毎月の返済額が増えました。

借金です。

その事も言えずにいた頃、冷蔵庫が壊れ、そして、ガス台が壊れる…という特別な出費が一度に重なり二重苦になりました。

生活必需品です。
無いと生活できません。

貯金どころか…返済額が増えており、

どうするか、どこからお金を捻出するかという話をした時には「買うしかないじゃん」という、その一言だけしか言わない元夫に怒りを通り越し…諦めと共に、抜けることのない刃物が胸に刺さるのを感じました。

その時は仕方なく私の母がお金の工面をしてくれました。

その母に対しての感謝の言葉や母に対する労いの言葉、仲よくしようという気持ちも感じられないものでした。

義父・義母が特別裕福だとは思いませんが、いつもお金を出すのは私か、私の母…。

冷蔵庫やガス台は何とかなったものの、私の心の中のわだかまりは消えませんでした。


子どもが巣立った後のこと

これから先の長い人生の中で自分が歳老いた時の姿を想像したことがありますか?

若い時は希望満ち溢れた事を考えるものです。

それが当たり前。

たーたんの場合は小さい時からいつも隣に「死」があり「朽ちていくこと」と「命が儚いこと」と「*老いると人ではなくなる」ということを身近に感じていました。


(*この「老いると人ではなくなる」ということに関してですが…
田舎で育ったので歳を取ると病気がちだったり介護をされている老人は、自宅で面倒を看ることが多い時代でした。老人ホームなど無かった?かもしれません。
自宅にいる曾祖父・曾祖母は、忌み嫌われて扱われていました。たぶん、私の祖母の家がなんとなくそのような風潮だったのだと思います。他の家庭はそうだったとは思いません。)

常に何かの終わりを経験することが多かったせいか、結婚して家庭を持った時にも
人の終焉についてを考えない…ということはなく、人は必ず終わりを迎えるという感覚が常にありました。


目の前に小さな子どもがいても、子どもはいつまでも小さいわけではありません。

子どもが大きくなった時のこと


「子どもが巣立った後、夫婦二人になった時…私はこの人のお尻を拭けるのだろうか…」

ふと、そんな言葉が頭をよぎりました。

この言葉には深い意味があります。

困っている時に助けてくれない人とこれから自分の長い人生を一緒に過ごしていけるのだろうか…

この人の手足が不自由になった時に、私は今まで感じてきた不安や不満の感情を吐き出さずに夫に優しく振る舞うことができるのだろうか…


便の処理をしてあげられるのだろうか…
老人独特の臭いを嫌な顔をせずに接することはできるのだろうか…
自分も同じように歳を取っているのにも関わらず…


高齢者になり夫が介護が必要になった時に慈しみを与えられるだろうか…
逆に私は夫から慈しみを貰えるのだろうか…
助け合っていけるのだろうか…



できない‥‥きっと無理だ…

そう思った時、

たーたんはお風呂場でシャワーを流しながら声を殺して泣きました。

離婚して見えたもの…

たーたんが後悔をしている事としたら「価値観の共有」ができていなかった事だと思います。

元夫を責める気持ちも無いですし、今は離婚して良かったとさえ思います。

むしろ自分の至らなさがあったと思いますが、今さらの話なので共有する気持ちもありません。

ただ、離婚をして学んだことというのは多くあります。

ひとそれぞれいろんな価値観があり、様々な人がいるということを理屈ではなく体験を通して知ったということです。



共感できる内容とそうでない内容があり、どれも正解でどれも不正解。

白い世界と黒の世界だけでなく世の中はほとんどがグレーな世界であると思います。


人と違うからこそそれで良い…なんて偽善的な話をしたいわけではありません。


ただ、家族になる…ということは「価値観を共有する」ということが本当に大事だと思っています。

育ってきた環境が人それぞれ違うからこそ「価値観を共有していくこと」

将来を見据えた価値観の摺り寄せをしていくことが大切だと思います。


シンママでも子育てを終えて再婚をする方も多いようです。
40代・50代の独身男性と子育てを終えたシンママが再婚する話を聞いたことがあります。

とっても素晴らしい事だと思います。

人生100年時代です。
ひとりのパートナ―と長く寄り添う人生は本当に素晴らしいと思いますが、
そうでなくなったからと言って悲観することも無いと思います。

新しい出会いがあった時、自分の価値観と相手の価値観を共有でき、相手を慈しんでいける関係を築いてほしいな…と思います。




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